社会と自分の最近のブログ記事

今年も何も思いつかなかった・・・。

20071230_dog_poo.jpg近所を散歩していたら、「犬にフン サセタラ 取テ行ケ」という張り紙を見つけました。「犬にフン」までは漢字・ひらがな・カタカナと続き、そこから頭がカタカナモードに入ったのでしょうか、それ以降はカタカナと漢字の組み合わせになっています。書いた本人は犬のフンに辟易し、怒り、この張り紙を書いたのでしょうが、それを見た僕はふんわりとした気持ちになりました。不特定少数の狭い社会に向けた個人発のアナログ・メディアとしての張り紙を再確認し、その効果はいかほどのものなのか考えたり、妄想の広がる風景でした。

足立区に住み始めて驚いたのは、アルミ缶を集める人々がいることでした。早起きして、熱心にアルミ缶を集めるのですから、趣味か職業かどちらかでしょう。しかも僕が住んでいる北千住には、たくさんの「アルミ缶を集める人々」がいます。狭いエリアにこんなにたくさんアルミ缶蒐集の趣味を持つ人が集まっているわけないので、職業としてやっているに違いありません。

ソースネクストのウィルスセキュリティZEROのCMが嫌いです。「ゼロゼロ」と鳴くカエルが、隣に座った「ゲロゲロ」と鳴いていたカエルを張り倒して、「ゼロゼロ」に改宗させるというプロット。相手が信じているものや、相手が生来持っているものを、暴力によって無理矢理に変えさせるというのはいかがなものか、と思うわけです。直接的な暴力描写よりも、こういう無意識のもののほうが問題視されにくいだけに、社会により悪影響があるのではないかと。

中学生の2割は死んでも生き返ると考えているそうな。

僕は宗教観とか無いので、死んだら死んだもの、生き返りも生まれ変わりもしないと考えていますが、兵庫県の中学生のうち2割は何らかの形で再び人間の世に戻ってくることができると考えているようです。記事にはゲームの影響だとか身近に死がないということも書かれていますが、後者のほうが原因じゃないかと僕は思います。マンガやゲームでいくら生き返ったりしていても、肉親や近所の人やペットの死など、絶対的な現実と対面すれば、おのずと「生き返ったらいいなぁ、でも無理だしな」と思うようになるのでは。

じつは兵庫県の中学生の2割がニュータイプで、死んでも生き返る能力を持っていたりしたら、またまた面白いんですが。

8月の夏休みにアサヒビールの工場見学に行ってきました。他の業界の工場やオフィスも見てみたいなぁ、という気にさせるものでしたが、現実にはそんな時間もありませんし、まずオフィスを公開しているような会社もありません。・・・と思っていたのですが、Office Snapshotsという、様々な職場の様子を写真公開しているサイトがありました。写真からなんとなく会社の雰囲気が分かりますし、普通のマーケティング的な社会科見学よりも、実際的なかんじで良いのではないでしょうか。

僕もYさんよりもDanさんに同意します。アカデミックな世界に限らず、自分が所属する世界は、その世界を理解した上で生きていかないことには標準的な生活を送ることができません。

前にも書いたかもしれません。僕もいじめにあいましたが、僕が知らない場所で、僕の妹のほうがひどいいじめにあっていたようです。妹は「自分にはこれより広い世界があることを知っている」ということを親に言ったということを聞きました。自分には逃げ場所がある、新しく何かを始めることができる、リセットできる環境があるのを知っている、ということでしょう。

実は、これはアーティストにとっても研究者にとっても大切なことです。「自分は他の人が知らない世界を知っている」ということは、つまり自分の知らない世界がどこかにあるということを認めることになります。自分が知っている世界に限定されることなく、より広い世界を自分から求めて見に行くことが、自分自身の(精神的な)健康にも役に立つのではないでしょうか。

理由がよく分からないままに辞めてしまった総理大臣。すでに過去の人が辞めた理由よりも、将来誰が舵取りをするのかのほうが重要なはず。次の自民党総裁は誰だ?という疑問のほうが大切。

ただ、戦争大好き麻生さんだけにはなって欲しくないなぁ。小泉さんの復帰かなぁ。それより、福田さんが来てもいいかんじかも。僕は自由経済推進派のほうが良いと思ってますから、小泉さんは評価高いんです。

ま、結局、どの党が政権とったって、どの総裁になったって、わずかずつしか変化しないので、とりあえずどーでもいいんですが。自分の身近な問題のほうが大切。(と、そう考えている人が多いので、投票率が下がるのかもね。)

404 blog not found経由ぼんやりと考えたこと

僕はコンビニの店員にも「ありがとう」と言ってしまいます。日本人は「すみません」でいいのですね。なんとなく「ありがとう」と言っちゃうんですよね。日本文化で育った、僕を知らない人々は、僕のことをなんとなく不思議な存在だと見ているのでしょうか。その反面、謝罪の言葉を発するのは苦手です。どうしても「ごめんなさい」と言えません。「すみません」はなんとか。

ただ、アメリカに行ってもカナダに行っても、地雷を踏むことはあります。たとえば「つまらなそうな顔してるよ」のつもりで「Are you boring?(あなたはつまらない人ですか?)」と言ってしまったり。

ミニマムライフという言葉についてのエントリーに対する、このブログ記事に書かれた「都内でフェラーリに乗っても、12気筒があくびをするだけ。むしろ車としての効用はプリウスの方がずっと大きい」という例え話に納得してしまいました。もう必要ないほどのモノがあふれていて、それに辟易しているような感じさえあります。

僕はお酒が好きですし、車もバイクも好きですし、良い家に住みたいし、良いモノが欲しいです。ただ、いま安アパートの部屋の中にある家具はCDラックが3つと、もらってきた折りたたみ式の小さい机&椅子だけです。住む場所も持っている家具も、なんとなくですが、高額なものを必要としていません。

僕はちょうど団塊ジュニア世代とミニマムライフ世代の間に位置していますが、どちらにも影響を受けている気がします。さてさてさてさて、やはり「世代」とくくられない空白期間にいるのでしょうか。っていうか、世代という言葉がおおまかすぎて使いにくいのかもしれません。

いろいろブツブツ書きましたが、僕は格差賛成派に傾いています。端的には、たとえば(がんばれない人ではなく)がんばらない人が生活保護を受けている現実があるのは、どうも納得いかないのです。「できない」と「やらない」を見分けるのが難しいのですが。結局のところ「格差が悪い」と言われている理由がどうも納得できないというだけです。

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