この人に学ぶの最近のブログ記事

BoseのQuiet Comfort 2を使っているのですが、ヘッドバンドが壊れてしまっていたのを松屋銀座にあるBoseショップで修理注文しました。今朝、その修理が終わってヘッドホンが戻ってきたのですが、伝票を見ると「新品交換」とのこと。現行品はカップ部分の色が違うとのことで、カップだけはもとの部品を使ったとのこと。

ヘッドバンドの交換だけですむのに、なぜ本体交換? しかも音質が悪くなった気がするし。エージングしてないからだけではなく、右側からのシャーというノイズが気になります。これは再修理かもしれません。

MacBook Proが戻ってきました。Appleの修理はいつも期待以上のことをしてくれるので、とても嬉しいのですが、今回もやってくれました。今回の修理内容は「スリープセンサーの修理」だったのですが、それがちゃんと直っていたのはもちろん、キートップの塗装がはげていたキーを取り替えてくれ、それだけでなくキーボード下の掃除やディスプレイ表面のクリーニングまでやってくれました。

「顧客が期待した以上のことをするのがサービスだ」という言葉を思い出しつつ、なんとなく「任天堂のすごさを垣間見たとき」のブログ記事を思い出しました。

20080119_kato_taizo.jpg加藤諦三という精神衛生学者がいるのですが、早稲田大学を退官されると言うことで、最終講義が行われました。「現代日本社会における非社会性について」と題し、明示された規則に反する反社会性とは違う、暗示された規範に反する非社会性の原因と弊害を論じ、解決法のヒントを示唆したところで終了。非社会性は人同士のコミュニケーションが取れなくなってきていることが原因だとし、実存(自分の存在を認められたい)の問題が出てきていることにより犯罪への不安が増大しているといいます。

人同士のコミュニケーションが取れなくなるのは誤解された平等の概念が原因だとのことで、誤解された平等の例としては友達親子・友達先生が挙げられるそうです。本来は上下の関係だったものが、現代は左右の関係になってしまっており、子供たちが健全な対人関係を理解することができなくなってきています。平等とは、フランス革命の時代に農奴も貴族も等しく「生存」する権利がある、というところから出てきた概念です。現代の「実存」の問題に関しては、「生存」と同じ平等の概念は通用しないのではないか、新たな思想が必要なのではないか、というのが加藤氏のメッセージでした。

僕が自分のこととして受け止めたのは「友達先生」になってはいけない、ということ。比較的学生と歳が近いこともあり、どうも友達のような雰囲気になってしまうことがありそうです。そのせいで学生の研究や勉強における教師からの自立性が低下しているのではないかと心配していたところでした。いろいろ考えてみます。

誰のインタビュー記事だったか忘れてしまいましたが、スポーツか音楽か小説で活躍している女性の記事でした。お父さんに「他人の二倍努力するような人間はごろごろいる。だからお前は人の三倍努力しろ。」と言われたんですよ、と言っていたところだけ強く印象に残っています。

僕も天賦の能力としては±0.5σに入っていると思うので、やはり他の人の3倍は努力しなきゃいけないと、常々考えています。

ガウディが前任者を引き継いでサグラダ・ファミリアの設計者に任命されたのは31歳の時。現在の僕と同じ歳です。そして未完成のままこの世を去って、すでに80年。サグラダ・ファミリアは、それでも建築が続けられています。

バルセロナを訪れたときに感じた、「圧倒される」感じ・・・僕はそれを発揮する術(すべ)をまだ身につけていません。僕はガウディのような天才ではないので、そんな能力が身につくかどうかも分かりません。とにかく、人の数倍がんばらないといけないのでしょう。がんばりましょう、がんばりましょう。

最近気になっているのが眼鏡のフォーナインズとシャツのメーカーズシャツ鎌倉のふたつ。眼鏡は毎日着用するし、今のが替え時になってきているので気になっているけれど、シャツはそう毎日でもないので、どうしようか、というかんじ。そんなにスーツ好きじゃないし。

さて、すげーのか?このふたつ。

ノーベル賞受賞者の小柴昌俊氏によるビデオPodCastの第一回の最初の言葉・・・「あのね、あなた方、そう思わないかもしれないけどね、立派な学者というのはね、たくさんのことを知ってる人じゃないの。知らないことがこんなにたくさんあるぞということを痛感しているのが立派な学者なんですよ。」・・・に、あぁ、わかるわかるとうなずいたのでした。

去年に書いた論文数編には「良いヘッドホンを使っても良い音で聞けるわけじゃない→悪い音はより悪くなり良い音はより良く聞こえる」とか「壁はツルピカよりもごわごわしてるほうが反響音が気持ちいい」とか「音楽が録音テクニックの好みに影響がある」とか「ビブラートの設定値はここら辺が良いらしい」とか、そういうことを書いていたのです。それを「どうやったら読者を納得させられるか」という部分に力を入れて書くわけです。こんなこと、実は書くまでもなくて、みんななんとなく知っていることなんですね。でも、それをハッキリ言った人はいままで居なかったでしょ?というところがポイント。「言われてみれば当たり前だよね」ということに気づいて発表した人がいなければ、それはいつまでたっても曖昧なままなのです。それを「なんとなくそうかも」から「ハッキリこうなんです」と文書で残すのが、難しくも面白い科学者の仕事。

小柴氏の言った「知らないことを知っている」というのとちょっと関係がありますよね? 知らないことが何なのかを知るというのは、常識を破った発想をしないといけないので、やっぱり難しいのです。それと同時に、他の研究者がポロっと言っていた「成功への近道は『どう考えても明らかなこと』を証明することだ」という言葉を思い出しました。

大きなブレークスルーをする科学者もいる反面、当たり前のことを明らかにする科学者もいる、というお話し。

ポール・グラハム著『ハッカーと画家』より「富の創りかた」の脚注部分に書いてあったこと:

「富」という言葉にはさまざまな意味があり、物質的なものだけを意味するわけじゃない。私はここで、何が本当の富かについての深い哲学的な考察をするつもりはない。むしろ、「富」という単語を、特定の技術的な意味で使っている。人々が貨幣と交換したがるもの、という意味だ。この種の富は研究してみる価値がある。飢え死にしなくても済むからだ。そして、人々があなたに貨幣をくれるのは、あなたにではなく、富に対してなんだ。ビジネスを始めるとき、あなたのやっていることを顧客が欲しているという考えに堕ちてしまうのはたやすい。インターネットバブルのころに、単に自分がアウトドアが好きだというだけで、「アウトドアポータル」を始めようとしている女性と話したことがある。アウトドアが好きなら、どういうビジネスを始めたらいいか分かるかい? クラッシュしたハードディスクからデータを復旧するサービスさ。

どういう関連があるのかって? 何もない。それが言いたいことだ。富を(飢え死にしないため、という狭い技術的な意味で)創り出したいのなら、自分が好きなことを中心にした計画に対しては特に疑ってかからねばならない。その分野では、何が価値があるかというあなたの判断は、他の人々と大きくずれていることが多いからだ。


僕は好きなことを仕事にしたのか、他の人が価値があると思ってくれたことを仕事にしたのか、そんなこと考えさせられますねー。どちらにせよ、僕が価値を持ち続けるには、スティーブン・コヴィーも言うように、「刃を研ぐ」なんでしょう。日々是精進。

Mac OS Xにktermをインストールしたいんだけど、とか思っていたら、なぜかOTTというサイトに行き当たりました。まったくUn*xとか関係ないです。リンクをクリックしなくていいです。ただ、このサイトのトップには『お前が無駄に過ごした「今日」は、昨日死んだあの人が 死ぬほど生きたかった「明日」なんだ』という言葉が書いてありました。なんだかグサっと来ます。もっと一日一日を大切にしないと・・・。

ポール・グレアムの『ハッカーと画家』を読み始めました。読み始めて驚いたのが、アメリカがどうして車や都市をうまく作れないか、なぜnerdはもてないのか、などの、ハッカー文化に微妙な関係はあるけれど直接の関係はないじゃん、という文章から始まっているところ。

11歳〜14歳のnerdが過ごさなければならない社会の厳しさは、それはそれは過酷で、大人たちは全くその過酷さを理解してくれず、そしてその社会がどれだけ残酷なものかを、ハッカー的な視点から説明している文章が、(僕にとって)読みやすく、共感できるものでした。

本文より:「自分たちのいる状況を理解するだけでも、苦痛を和らげることになるはずだ。オタクは負け組じゃない。単に違うゲームをやっているだけなんだ。それも、実社会により近いゲームを。大人もこれを知っている。現在成功している大人で、中学高校でオタクじゃなかったと言い切れる人は滅多にいない。」

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