ニューヨークで行われる学会に発表する論文を書くのにがんばっています。英語で文章を書くの久しぶりです。修羅場です。ニューヨーク時間で8/1〆切・・・ってことは、日本時間で8/2までねばれる!

研究室のコンピュータと自分のノートパソコンの両方で仕事をするので、どうにかして中身の同期をとっておかないといけないのですが、うまい方策が見つからず、数週間ほどUSBメモリでデータのやりとりをしていました。

で、思いついたのがrsync。ミラーサーバを作ったりするのにも使われる、ネットワーク越しにファイルをバックアップできるソフトです。たとえば、ホーム以下のhogeというディレクトリを送りたければ

rsync -a /home/jikanbae/hoge user@server.com:/home/jikanbae

とするだけ。二台のコンピュータでお互いにファイルを送信し合えば同期が取れるというわけです。あぁ便利。

今週号のThe Economist誌の表紙がわかりやすくて、なかなか興味ぶかいものでした。ヘッドラインは「How to deal with a shrinking population」です。東アジア系の赤ん坊が泣きそうな顔で写っていて、その顔の左上に「Limited Edition, Made in Japan」というラベルがついています。赤ん坊が限定版、ということなのでしょう。タイトルとも相まって、日本の出生率低下問題にクローズアップする特集が組まれていることが示唆されています。

プレゼンテーションも、こういうものじゃないといけませんね。ウィットとわかりやすさの両立。

受験生とその親に圧倒されそうになった日でした。でも、施設案内で「質問ありますか?」と聞いても、そんなに反応がなかったのは、大学というところで何ができるのか、まったく実感がないからかもしれませんね。

僕が高校生だったときは、大学に入学するまで、結局大学で何ができるのかわかりませんでした。大学から出ている案内を読んでも、受験雑誌を読んでも、結局具体的なところはそれほどわからないのです。でも、自分で大学を選び、そこに入学して良かったと思うしかないのでしょう。ほかの大学に同時に入学したりはできませんし。就職するときも、結婚するときも、人生の大きな決断では、いつもそんなかんじなんでしょう。人生にお試し期間なんてないのですから。

僕が給与振り込みと家賃や光熱費の引き落としをしてもらっている銀行から、最近よく「保険に入りませんか」だの「外貨預金を始めませんか」という案内が来ます。僕には定期収入があることに、銀行側がとうとう感づいてしまったようです。むむむ。

좋은맛(チョウンマッ)がおいしい! 唐辛子の輪切りをごま油で素揚げしてあるのかな? ピリ辛でビールに合います。徳用1.8kgボトル買っちゃおうかなぁ。

夏休みの学童保育・・・これは親が自分の都合を優先して、子供に不自由を強いているだけではないのか? それとも学童保育は、親が好きなことをしたいから子供が家にいるのは邪魔だということではなくて、子供を育てるための稼ぎを確保するために必要なものなのか。あるいは、親元を離れることで成長を期待するのか。ぜんぜん考えがまとまらない。

upper house electionせっかく税金を払ってるんだもの、投票は当然の権利。もちろん放棄しません。でも、日曜日に近所の投票所に行くのがめんどくさいので、不在者投票に行ってきました。知事選、区長選、そして参議院選挙など、最近なんだか投票づいています。意外にひとりひとりの票の力って大きいのです。

土手の伊勢屋の「ロ」となめこ汁日曜日。昼までねてました。午後は仕事をしようかと思っていたのですが、AESの学生プログラム「音楽制作者と学生の座談会」で、ある音楽制作者が「プライベートに仕事を持ち込んじゃいけない」みたいな発言をしていたのを思い出して、今日は休むことにしました。

16時過ぎにバイクで秋葉原まで行き、ヨドバシカメラで欲しかったコンパクトカメラを購入。一眼レフだとキレイな写真は撮れるのですが、機動力に欠けてしまうのが難点でした。また、写真を撮るときにシャッター音がするので、発表スライドを撮影するのも気がひけて、AESにも持って行きにくかったのです。買ったのはキヤノンIXY 810ISです。画素数もちょうど良く、手ぶれ防止や顔認識などの便利機能もついています。値段も手頃、大きさもちょうどよく、使いやすそう。

帰り道に土手の伊勢屋に寄って夕食。なーんか味に感動がない。前より味が落ちたのか、僕の舌がおかしかったのか、はたまた気分的なものか。

情報過多とともに情報の細分化がされ、一般の人々が自分の「身の回りの出来事をぼんやりとでも把握する」ということすら難しくなっています。地球の裏側の出来事がニュースで報道され、人々の処理能力を上回る情報が入ってくるようになるのと同時に、近所の出来事(誰々さんちの息子が中学に上がったとか)ですら伝わりにくくなっているので、通信が発達していなかったときには環境が自然に行っていた情報の取捨選択を、人々が自分自身で行わなければならなくなっているのです。